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住みたい街の常連、旧宿場町「北千住」の魅力を散歩しながらめぐる

2021年2月22日 若林 浩太郎
古地図
交通インフラ
江戸時代
まちあるき

こんにちは!若林浩太郎です。

今年も引っ越しシーズンがやってきました!

就職・進学で、はたまた夢を追って東京という街に引っ越しをする方も多いのではないでしょうか?

新居となる部屋を選ぶ時は、間取りや設備も大切ですが、やはりまずは立地が大事!

皆さんの住みたい街はどこですか?

今日は住みたい街ランキングでたびたび見かける街、北千住の歴史と利便性についてお話ししたいと思います。

北千住の歴史〜日光・奥州街道 千住宿〜

北千住の歴史は江戸時代から始まりました。

江戸時代に整備された五街道を皆さんご存知ですか?東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道の5つです。
私も中学生の時に、社会の授業で必死こいて覚えた記憶があります・・

この5つの街道は全て、中央区:日本橋を起点としており、現在の東京に見られる放射状の交通網の基礎を作りました。

街道には宿場町が一定間隔で設けられており、それぞれの街道の中で日本橋に(江戸に)最も近い宿場町である東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿(現在の新宿)、中山道の板橋宿、そして奥州街道・日光街道の千住宿江戸四宿と呼ばれて、江戸の玄関口として重要な役割を果たしました。

(五街道なのに四宿?と思った方もいらっしゃるかと思います。これは奥州街道と日光街道が途中まで同じルートだったためで、実際に日本橋から伸びている街道は4本なのです。)

この五街道の1つ日光街道を建設するため、隅田川に千住大橋が架けられたことで千住地区に住民が多く移り住み、急速に発展していきました。


(現在の千住大橋。近代的な鉄橋でした)

また、江戸は水の都と呼ばれるほど川や運河が張り巡らされておりそれらを利用した、船による水運が発達していました。

千住宿は荒川・隅田川の水運と、日光街道の陸運が交差する場所として江戸全体の物流に大きな影響を与えていたのです。

その後明治時代に入り宿場町は廃止されましたが、水運の便が良いことは変わらず人を惹きつけ、毎日のように朝市が開かれて周辺から運び込まれた農作物が売買されていたようです。

関連記事:江戸の水不足を解消した玉川上水のおはなし

最強乗り換え駅?北千住駅!

江戸時代には交通の要衝として発展した千住宿ですが、交通の便が良いのが北千住の遺伝子なのでしょうか?
明治以降に発達した鉄道という交通インフラにおいても、重要な役割を果たす土地になりました。

北千住駅には現在、JR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、TX(つくばエクスプレス)、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の5路線が乗り入れており、東京圏内でも有数の乗り入れ路線数を誇ります。
さらに北千住駅の南側には京成本線が通り、実質6路線がこの地域を経由して各方向へ向かっていきます。


(地理院地図で作成)

さらにさらに!相互直通運転の恩恵を受けて、さらに広範囲のネットワークに北千住は組み込まれていきます。

東京メトロ千代田線は代々木上原経由で小田急電鉄に直通し、東武スカイツリーラインは押上で半蔵門線に直通、その後渋谷経由で東急田園都市線に直通します。

これらの路線を活用すれば、東京・上野・品川・秋葉原・渋谷などの主要駅ははもちろんのこと、世田谷区・神奈川県北部まで乗り換えなしで出かけることができます!

北千住は道路も強い!

鉄道だけではなく、道路の便も健在です。

日本最長の国道、日本橋から青森県までを結ぶ国道4号が南北につらぬいているため、都心方向へのアクセスはもちろん良好。
加えて、少し北上すれば環状7号線(環七通り)に接続しているので、東京圏のどこへ行くにも困りません。

高速道路を利用したい時には、荒川を挟みC2:首都高速都心環状線の千住新橋ICがあります。


(地理院地図で作成)

車でどこかに出かけようという時も安心です

北千住の駅前はどうなっている?実際に歩いてみた!

次は実際に歩いてみて感じた北千住駅周辺の様子をお伝えします!

まず、北千住駅西口を出ると、駅からまっすぐ伸びるアーケード街があります。

下の写真は土曜日に私が撮影した写真です。

とても賑わいのある商店街でした。約400m続いています。

次の写真は旧日光街道・宿場町通り、現在の北千住駅前のアーケードと直交する、2つ合わせて約1kmにも及ぶ商店街です。

少し話がそれますが、千住に限らず、江戸時代の街道沿いの建物は基本的に間口が狭く、縦長の短冊状の地割が多いです。

下の写真は旧街道沿いにあった千住宿の昔の姿を伝える案内板です。
街道に対して細長い地割であることがよくわかると思います。

これは江戸時代の税制に関係があります。

江戸時代の税金の額は「道に対し、どのくらい土地を占有しているか」で決められていました。
面積ではなく道路に接している土地の長さで決められていたんですね。
なので当時の人々は、節税のために細長い地割を採用しました。
100年以上たった現在でもその名残が残っているのです。


地理院地図で作成

いかがでしょう?旧日光街道ぞいに赤く示した短冊状の地割が見えてきませんか?
(北千住以外にも、吉祥寺にもわかりやすく残っています。)

話をもどして、北千住駅前のアーケード街と旧街道の商店街は、いずれも有名チェーン店から個人経営のお店まで、さまざまなお店が立ち並び普段の買い物に困らない街です!

関連記事:

PR: 北千住に当社の新築アパートを建設しました

交通の便が良くて、駅前に商店街があり、生活に困ることはなさそう・・
住みたい街と言われる理由がよくわかります。

そんな北千住に当社の一棟新築アパート『シエスタヴィラ北千住アルボルハウス」がたちました

 

北千住は銭湯が多いことでも有名なので
(かつては風呂無しの貸家が多かった名残のようです。)

今度、改めて散歩をしに訪れ、お風呂を楽しみたいです

この記事を書いた人
若林 浩太郎

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