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日本の団地の牽引係!?3ステップで「ひばりが丘」の歴史を追う!

2021年3月10日 若林 浩太郎
団地
ひばりが丘駅

こんにちは!若林浩太郎です。

私事ですが、先日長崎の雲仙に行く機会がありました。

普賢岳と諫早湾干拓地を見に行ったのですが、ついでということで長崎市内を観光して来ちゃいました!


諫早湾干拓事業の堤防
真っ直ぐで気持ちの良い道路がその上を通ります。
奥に見えるのは雲仙普賢岳です。

出島や新地中華街などを見たり、街を走る路面電車に乗ってみたり、「長崎といえば坂!」ということで無駄に坂を登ってみたりと、半日しかなかった割にはすごく楽しめたなと非常に満足しています!

長崎市内を歩いていて感じたのは、「そこかしこに軍艦島のポスターが貼ってあるな・・」ということでした。

世界遺産にも登録された軍艦島、ほんとに軍艦に見えるのか実際に見に行ってみたいですね!

軍艦島は海底炭鉱の採掘場として発展し、日本の製鉄業を支えた島です。
大勢の炭鉱労働者たちの居住地を狭い島の中に確保するために、鉄筋コンクリート造の高層アパートが多数建設され、独特の景観を生み出したのです。

これらのアパート群は日本の団地発祥の地であるとも言われています。


軍艦島のアパート群

東京近郊にも団地がたくさんありますよね。
多摩ニュータウンや光が丘パークタウン、東洋最大の団地とも呼ばれている埼玉県の草加松原団地などが例にあがります。

しかし近年、団地は危機を迎えています。建物の老朽化や居住者の高齢化などが大きな問題となったのです。

それらの問題を解決し、団地に新たな価値を付加する試みが住宅団地再生事業です。
本日は団地再生のフラッグシップ的存在であるひばりヶ丘団地を、時系列を追って3ステップで紹介していこうと思います!

前書き長くてすみません・・・

まずは地理を確認!

ひばりヶ丘団地は東京都西東京市西部で埼玉県との県境に近い場所に位置していて、東京都内で23区に接する西東京市・武蔵野市・三鷹市・調布市・狛江市のうちで一番北に位置する市です。

西東京市は2001年に保谷市と田無市が合併してできた新市</span class=”font-weight-bold”>で、21世紀になって初めて出来た市でもあります。(今年で20周年なんですね!)

また、都心と埼玉県南西の郊外を結ぶ交通の中間点に位置しているため、市内の交通網は青梅街道や西武池袋線・新宿線など、東西方向に伸びるものが多いという特徴があります。

ひばりヶ丘団地は西東京市北西部の旧田無市域に位置しています。

西東京市の中では北に位置し、東久留米市との市境に近い場所です。

ステップ①「団地ができる以前のひばりヶ丘」

ひばりヶ丘の位置する西東京市(田無地区)では先史時代の遺跡が発掘されており、古くから人の住み着く土地でした。
歴史的には、もっとも古いもので室町時代の文献、小田原衆所領役帳に田無が登場します。

国会図書館デジタルコレクション「小田原衆所領役帳」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554925/1

江戸時代になり、江戸城築城のための石灰を運びこむために青梅街道が整備されました。(青梅に石灰の産地があったため)
田無宿(現在の西武新宿線田無駅付近)は青梅街道の起点である内藤新宿から2番目の宿場町として発展しました。

明治時代には、江戸から東京に街の名前が改められ、産業が発達し、東京の都市域の拡大が始まりました。
大正時代に、現在の西武池袋線の前身である武蔵野鉄道武蔵野線が開通し、現在のひばりヶ丘団地周辺は都市化されていきます。

昭和の時代に入ると、多摩地域の武蔵野・荻窪に立地してた中島飛行機の関連工場から金属鋳造部門(中島航空金属)が分離して、旧田無町の北部(現在のひばりヶ丘)に工場が設置されましたが、戦後まもなくその工場は閉場し、広い空き地が生まれることになりました。

まとめると、旧田無市地域は

⑴南部を流れる石神井川沿いで原始的な集落ができる。

⑵江戸時代に青梅街道の整備によって、市域南部が宿場町として発達する。

⑶大正時代に入り、武蔵野鉄道が開通したことにより北部も開発が進む。

という流れで発展したといえます。

ステップ②「高度経済成長期のひばりヶ丘」

戦後、復興が進み、日本経済は大きな進化の時代を迎えました。
高度経済成長です。

経済が発展していくにつれて東京の市街地は大きく拡大していき、多くの労働者が東京に職を求めて集まって行きます。

経済とともに交通・運輸技術が大きく発達して時間距離が短縮し、都市は加速度的に拡大していきました。それまで郊外だった場所は都心に変わり、郊外は大きく拡大して首都圏を形成します。
100万人都市江戸は1000万人都市東京に変貌を遂げたのです。
(ちなみに現在の首都圏人口は統計方法によって差があるものの、約4000万人となっており世界最大の人口を抱える都市圏となっています。)

1950年台には30%を超える増加率で人口が急増し、大量の住宅需要がうみだされ、多くの居住者を受け入れるために、高層の集合住宅が郊外に建設されるようになりました。

そんな中、先述の中島航空金属工場の跡地を活用して1959年に、現在の都市再生機構(UR)の前身である日本住宅公団が造成した団地がひばりヶ丘団地です。
日本初のマンモス団地として建設され、首都圏人口の急増による住宅不足の解消に大きな役割を果たしました。

その後も人口増加は続き、ひばりヶ丘団地の他にも多くの団地が建設されることになります。

ひばりヶ丘団地は生活の全てが団地内で完結する1つの新しい街として開発されていて、敷地内に商店街や野球場まで整備されており、多くの人の人気を集めました。そんなひばりヶ丘団地は後続のマンモス団地のモデルとなり、首都圏の団地開発を牽引する存在となりました。

「ひばりヶ丘団地」という名称は、周辺の松林がヒバリ観察の名所だったことから名付けられたようです。
現在西武池袋線の駅名にもなっている「ひばりヶ丘」という地名は、実はひばりヶ丘団地が由来で、現在の西武池袋線ひばりヶ丘駅は団地ができた1959年に田無町駅からに改称され、現在に至っています。

ステップ③「現在・これからのひばりヶ丘」

前書きでも触れたように、ひばりヶ丘団地も含む首都圏の団地は、建物の老朽化などの問題が表面化し始めました。

居住者が離れ始め、空き家が増えていく厳しい状況に陥ったのです。

その問題を解決すべく、団地のリフォーム・再開発が進んでいきます。
住宅団地再生事業です。

建設から50年経過した古い建物群の設備や内装、外装を一新して現代風の綺麗で快適な住空間を生み出し、魅力的な住空間を作り出しました。

こうして、新たな価値を付加し、問題解決へ大きな一歩を踏み出したひばりヶ丘団地は、ひばりヶ丘パークヒルズと改称されました。

高度経済成長期に他の団地を牽引してきたひばりヶ丘団地は、ひばりヶ丘パークヒルズとして今後の団地再生を牽引していく事でしょう。

未来に価値をつなぐ街 ひばりヶ丘

増加する首都圏の人口を支えるために作られた街、ひばりヶ丘。

過去に首都圏の団地を牽引してきたこの街は、今後も時代に合わせて新たな価値を生み出してゆくでしょう。

そんなひばりヶ丘団地の最寄り駅前、ひばりヶ丘駅はショッピングセンターが立地しているなど、駅前の商業地は西武池袋線沿線の中でも指折りの規模となっています。

また、快速急行までのすべての列車が停車(通勤準急を除く)する駅であり、都心からのアクセスの良さが魅力です。

当社が管理している新築アパートシリーズ「シエスタヴィラ」「シエスタデュオ」は全ての物件を「駅から徒歩10分圏内に位置」という基準で作っているのですが、ひばりヶ丘駅近くにも物件がございます。

シエスタヴィラひばりヶ丘ブリックハウス

シエスタヴィラは、一人暮らしの方をターゲットにした設備を建築費を抑えて企画した収益物件です。

ひばりヶ丘駅近くにはもう1棟、1LDKの建物、「シエスタデュオ」もございます。
他にも様々な物件の建築中・運用稼働中の様子や空室状況などもご紹介していますのでぜひご覧ください。

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若林 浩太郎

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