航空写真から読み解く!本蓮沼の歴史とは?

こんにちは、若林浩太郎です。

最近は地図アプリなどの電子地図が非常に便利な時代になっていますよね。

地図を見ただけでその場所はどんなところなのか?何があるのか?がよくわかるようになり、自宅に居ながらその場所にいった気分になることもできます。

電子地図は様々な情報が統合されたことによって多くの利益を生むことになったのです。

Google map などの電子地図には多くの場合、通常の地図と航空写真を見ることができます。

どちらが使いやすいか?と問われれば人それぞれかと思われますが、航空写真の方が見ていて楽しい物であると思います。

私は国土地理院が提供する地理院地図をよく利用するのですが、地理院地図では古い航空写真を閲覧することができます。

それらを使って記事を書いてみたいと思っていたのですが、本日いよいよその記事を書いてみようと思い立ちました!

というわけで、本日は東京都板橋区と北区の境目付近に位置する本蓮沼駅周辺の歴史を航空写真とともに振り返っていこうと思います。

航空写真で見えない本蓮沼

いきなりタイトル詐欺のようなことを言っていますが、日本で航空写真が撮影されるようになったのは20世紀初頭の話です。

そのため、それ以前の歴史は航空写真なしで説明させていただきます。

本蓮沼周辺に人が集まり始めたのは、江戸5街道の1つである中山道が整備されてからです。

中山道最初の宿場町である板橋宿の北側に位置しており、宿場の間に発達した小集落が原型となっています。

現代の中山道である国道17号もこの地を通っており、多くの車が行き交う幹線道路になっています。

航空写真で見る 戦後の混乱

いよいよ航空写真の出番です。

早速、本蓮沼周辺の古い航空写真を見てみましょう。

こちらの航空写真は太平洋戦争期に撮影されたものです。

(赤い点が本蓮沼駅)

本蓮沼駅の東側(写真では左側)に広い土地が連続しています。

弧状に広がるこれらの土地は旧日本軍の軍用地です。

東の線路(現在の埼京線)に隣接して海軍の住宅、射撃場、陸軍の倉庫などが立地していました。

赤羽駅から用地に伸びる鉄道も確認でき、現在の地図でも痕跡を見ることができます。

戦後、この地域の軍用地はGHQに接収され、アメリカ軍の軍用地として利用されました。

TOD地区と呼ばれたこの土地は、サンフランシスコ平和条約締結後もアメリカ軍が使用し続けていましたが、東京の都市域拡大を受けて1971年に返還されました。

写真を見るとこの地区の跡地は、運動場・公園等の文化施設や、団地などに利用されていることがわかります。

航空写真から見る 交通の発達

首都圏に人口が増えるにしたがって、街と街を結ぶ道路や交通機関が発達していきます。

東京では、流入してくる大勢の人々を捌くために地下鉄や道路が整備されました。

国道17号が戦前から戦後にかけて整備され、高度経済成長期には首都高の建設が進み、本蓮沼の近くには東京都心と埼玉県の大宮をつなぐ、5号池袋線が開通しています。

下の航空写真は1970年代中盤に撮影されたもので、建設中の首都高速道路が写っています。

地下鉄は都営地下鉄三田線が1968年に開業しています。

上の航空写真と同じ時期に撮影された航空写真には建設中の都営三田線の地上区間が写っています。

下の航空写真は高島平団地付近の航空写真ですが、建設中の都営三田線と首都高の建設予定地を一度に見ることができます。

どんな土地にも歴史あり

本蓮沼という駅名を聞いたことがない人も多いのではないでしょうか?

正直私もどこにあるかいまいちわかっておらず、記事を書くために調べて初めて場所を知りました。

しかし、どんな土地にもそれぞれ歴史があり、叩いてみればそれなりにエピソードが出てくるものです。

皆さんも自分が住んでいる土地の歴史を調べてみてはいかがでしょうか?

古い航空写真を見るだけでも新たな発見があることは間違いなしです!

この記事を書いた人
賃貸知識BANK編集部
不動産市場や投資に関する情報を専門的な視点で解説しています。資産形成や投資戦略に役立つコンテンツを実務的な目線でお届けします。
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